JRchanの日誌

2024年から札幌に移住したフクロウ🦉(夫)とタヌキ🦝(妻)の共同日誌

札幌はうんざりするほど直線的

こんにちは。

先週は中島公園にある北海道立文学館に行ってきました。

よい天気で中島公園の緑が眩しいです。

 

以前に紹介した豊平館の水色も美しいです。

 

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企画展は「虚子・年尾と北海道」というタイトルで、俳人高浜虚子・年尾親子と北海道の関係についての資料展示でした。

 

虚子・年尾親子と北海道の関係は、年尾の小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)への入学がきっかけのようです。小樽高等商業学校の同級生に小林多喜二、1学年下に伊藤整がいるという後の日本文学界に名前を残す人たちがいました。展覧会でも小林多喜二高浜年尾が一緒に写っている写真がありました。

 

展覧会のパンフレットにもなっている以下の写真は、1948年の「北海道ホトトギス会」の句会で、高浜虚子が来道した時のものです。場所は北海道大学で400人以上の参加者がいたそうです。

 

 

この時、虚子は「理学部は薫風楡の大樹蔭」という句を詠みました。この自筆の書は現在でも北海道大学の理学部長室に飾ってあるそうです。

 

常設展は北海道の文学についてで、そちらも非常に見どころが多かったです。個人的に一番気になったのは、意外とすぐに北海道を去る人たちがいるということです。例えば国木田独歩は理想を抱いて来たものの、開墾作業をするには病弱すぎて10日あまりで北海道を去っています。パンフレットによればそれでも「余は此間に北海道を愛するの情を幾倍したのである」と「空知川の岸辺」に書いていますが。。。

 

石川啄木も函館、小樽、釧路に滞在しながら、わずか1年余りで東京に戻っています。(ただしこの時期の活動は後の作品に大きな影響を与え、またポジティブな印象を残したようです)

 

また戦後すぐに北海道大学に法文学部が設立されたことが、北海道の文学活動の活発化に大きな役割を果たしたと説明されていました。当時の教員には武田泰淳伊藤整(元々、北海道出身ですが)がいたのですが、2人とも1年、経たないうちに東京に向かいます。

 

私たち夫婦の札幌行きが決まった時も、札幌生活は合う人と合わない人がいるという話を色々なところで聞きます。私たち夫婦はどちらになるのでしょうか?ちなみに村上春樹の「羊を巡る冒険」では札幌はうんざりするほど直線的と言われているそうです。。